|

|
マドリードのタブラオ“ビジャ・ローサ”にて(1971年)
ひょんなことからタブラオと契約することが出来ました。
一番右のギタリストはホセ・マリア・パルド、故ニーニョ・リカルドの一番弟子と言われた人です。
息子さんのカルロス・パルド氏、ご存知の方もいると思います。
|
|
|
ペペ・アビチュエラ、エンリケ・ヒメネスと(1974年)
エンリケ・ヒメネスとペペ・アビチュエラ、フラメンコギター界では知られ過ぎ、というギタリスト。
場所はマドリードの某タブラオ、ステージ上ではチャト・デ・ラ・イスラのカンテでサラ・レサーナが
サンブラを踊っていた。サラは、あの“バルセロナ物語”で主演した人です。
とても美しく‥‥言葉では語れません。
|
|
|
セラニートと重奏(1975年)
出来たばかりの渋谷の西武劇場で1週間、セラニートのコンサートがあった。
潰瘍で退院したばかりの私に、“アンコールだけでいいから‥‥”と主催者からの連絡で、急遽二重奏ということになった。曲は、パハロ・チョグイ、コリブリ、そしてブレリアス。
とても緊張したが、良い勉強になりました。
|
|
|
クリスティーナ・オヨスと(1976年)
東京の某フラメンコスタジオ。クリスティーナが新宿“エル・フラメンコ”に出演していた時、新しいタラントを振り付けしていた。その時に弾いて欲しい、と頼まれてしまった。
スペイン人ギタリストを使わなかったのは、何故なんでしょうね?。
きっとギャラのことだとは思うんですが‥‥。
リズムの感じ方、日本人とはぜんぜん違うことを、強く再認識させてくれました。
|
|
|
マリオ・エスクデーロと(1977年)
これも偶然のできごと。エスクデーロ氏の初来日コンサートの時、いろいろとお手伝いが出来た。
そんなこんなで、いつの間にかレッスンしてもらえることになった。
写真は、一緒にブレリアスで遊んでいるところ。
ちなみにエスクデーロ氏は譜面を読み書きできます。
いろいろと為になるお話を聞かせていただきました。
|
|
|
パコ・デ・ルシアと(1991年)
パコ・テ゜・ルシアの何度目かの来日の際、ドサクサ紛れで楽屋を訪れた時の写真。
パコさんが手にしているのは、私と加部氏で出版したパコ・デ・ルシア曲集。
私は例によってガチガチでした。
|
|
|
ビセンテ・アミーゴと(1994年)
某誌の仕事でビセンテさんとインタビューをしたときの写真。
たまたま私のエステーソの再塗装の修理が終わった日で、そのエステーソを持参したのだが、ビセンテさんがとても気に入ってしまって、インタビューの間、ずっと弾いていた。
曰く、“インタビューのギャラとして、コレ欲しい!!”などと悪い冗談をマジで言っていた。
|
|
|
パコ・デ・ルシアと(1998年)
これも某誌の仕事でパコさんとインタビューをしたときの写真。
インタビュー後、“いいマッサージを知らないか?”とのことで、某スポーツマッサージを紹介したところ、翌日、ちゃんと現れた。とても辛い様子だった。
でも、翌々日には素晴らしい演奏をしていた。マッサージが効いた、とのことで一安心。
|
| |
|